夜通し語ること-人間讃歌
時たま誰かと一晩中話して、話し続けて朝になるということを経験します。そこで話す内容も、喋っていられることそのものもかけがえのない好ましいもののように思えます。
ちなみにこれ話す相手は必ずしも恋人やそれに類する人ではないので、誤解のないよう。
夜というのは普段開けない抽斗を開けてみようかという気にさせる不思議な力を持っていますね。
言いづらいこと、埋もれていた過去も、伝えていない想いも、誰にも話したことのない野望も、性愛に関することも、夜に隠れて零れてくる。
時に抽象的なまま科学のことなんかを語った。その議論には学術的価値なんか無くて、どちらかといえばその人が持っている信念が垣間見えるのだ。大切にしたいものや相容れないものの話をした。これは本業における価値観と言い換えてもいいかもしれない。大抵は話す相手と私の本業に科学が位置していたから。……いま私にとって科学の位置づけは変わってきたように思うが。
過去のことも興味深い。どんな風に育って、何を考えて、結果今ここにいるのか。影響を受けた出来事はあったか。それらによってその人の人物像が立体感を持つ。
育った環境というのは自分で選べはしないのに、確実に人の基盤を作り影響し続けるのだと思った。しかし一方で、多くは親と心理・物理的に離れ環境が変わることで軌道修正が可能だとも追記しておく。そうじゃないと努力する甲斐がないからね。
以上のような内容は得てしてその人にとって重要であった。私にとってもそうだ。無闇に他人に晒して挙句に軽んじられたり傷つけられたりしてよいものではない。
だからこそ、それを開示し、語れる相手というのは得難いと思うのです。
これを書く私もまた夜の続きであるところの朝に捉われている。