n63girl's diary

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ごく個人的なこと

Twitterをしているところを観察してみる

ついついツイッターをしてしまう。

ブラウザを開こうとしたのにまたツイッターアプリをタップしてしまった。

ツイッターの合間に仕事をしている。

ツイッターを閉じた3秒後にはまたツイッターを開いている。

 

こんなこともあるかと思います。

しかしツイッターをしている間何をしているんだろう。ツイッターをしていない人からしたら理解不能でしょう。

それで、今日はツイッターをしている自分の観察を試みます。

 

※普段よりやや憂鬱なので毒吐くかもしれない。

※一部内容は改変してお送りします(かえって不適切かもしれない)。

※匿名化には注意していますが、なにかあれば何らかのアクションをください。

 

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〜メインのTL〜

「マスクの予防効果を信じていませんので外ではマスクをしていません。」

わかるー。おなじく。マスクが花粉症には効果的と思うけれど。マスクをしないことが周りの人を不安にさせるという意見もあるけど、いまのところ非合理的と判断しているので気にしないことにする。

 

赤ずきんちゃんを丸飲みにして腹の中で飼ってる犬

botすき

 

男性のジェンダーロールを捨てて「助けて」(以下略)

ジェンダーの話題かーいまはいいやめんどくさそう

 

とりあえず犬の写真貼っておこう

ありがとう

 

髪乾かしてくれる人雇いてえー

わかりみーー。

 

「アマチュアはえらい」

同感。だがわざわざそれを言いたいということに引っかかりを感じないではない

 

「(イグチの堀先生動画をみる)」

この練習は某Y氏に教わったことがある。もっとも、彼は16分分ずらしたメトロノームでとかいうより変態なことしててめっちゃ面白かった。

 

お客様がCDなど物販を(以下略)」

しらん

 

「「音声による情報収集が困難ではない人は」って優しい注意だ(音声による情報収集にしばしば困難を覚える人)

たしかに。こういう音情報がいいか文字がいいか映像がいいかというのって測って自分で知っておいても良さそう。人によってどれくらい違うだろうか

 

地方出身でお金が無い方、是非三鷹に」

あそこはなんだかんだ良かった。いまでも吉祥寺に親近感を感じる。

 

「(なんらかのお菓子)」

かわ

 

グラブル6周年おめでとうございます

しゅうまい

 

「(お菓子)」

かわ。そして上手い。

 

「ご視聴ありがとうございました」

fullmoon liveやってたんならみたかった

 

〜違うTLその1〜

「人生まだ何とかなると信じたい」

まだ大変なのかなぁ。こういうまじめさが好き

 

「暑くてつら」

なにがあった

 

「明日は母の命日です」

3.11だものね。。。命日は何かとあれよね

 

「自炊のレパートリーふやそ」

このひとの料理いいんだよね

 

希死念慮といっても原因は様々。」

そうそう、そう考えてしまうことも症状のひとつと思って"自分"と切り離すのがおすすめ。

 

「修了できます」

うわ、同研究科の同学年だったのか

 

〜違うTLその2〜

「確定申告を税理士にお願いした」

ほほー

 

「某駅の明朝体

わろた。物語シリーズっぽいめっちゃわかる

 

コンパイルしてからが正念場」

そうなのか。結局コンパイルの要る言語やってないなぁ。あのあとMatlabをはじめてしまった

 

「怒るって面倒だし相手の信頼も損ねるからデメリットしかないと思っている」

とてもわかるしこれは周囲もそう思っていてほしいなぁ。説教とかも自分が気持ちよくなりたいだけじゃん。殺意。

 

「(タイポ報告)」

かわ

 

自然言語処理をする人にお勧めしたい文ベクトルモデル」

あとでざっとみる

 

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直接の知り合いとかはなんか書けなかったから書いてないです。

雑多な情報が流れてくるのを眺めながら、ツッコミを入れたり同意したり有益だったり何か思い出したり...

好きなものも多いけど同じくらいに嫌いなものもある。それをジャッジしているという感じ。

 

そして、観察を試みたはいいものの、やはりブログという場でも表に出すものをある程度選別しているようです。本当はもっと人に言えないことも考えている。特にTwitterのTLは見ている分には個人的な場所ですからね。

 

あとリアルのつながりもあるアカウントであるという特性上、やはり当たり障りのない内容になってしまうのも感じます。私はTwitterのことをいまだに独り言を言う場所だと思っていてあまり気にしないことにしているつもりですけれど。

 

 

もう10年もこんなことしてたんですね。

Twitterをしていない世界線があるとしたらどんなふうに言葉を綴るようになっていたか、少し興味があります。

 

なんの益もない思考のたれ流しのようなものでした。

こういうのは形を変えテーマを変えてもうちょっと書いてみたいと思う。